2014年11月12日水曜日

意識は有るか無いかでしょうよ!!

最近でこそなくなりましたけど、以前「意識高いね」ばっかりいわれる時期がありまして。

あ、ども、Kです。

言いたいことはわかるんだけど、なんか違うんだよ、ていうかなんだよ意識高いってって思ってたんです。
何でって、


意識って高低じゃなくて有無でしょうよ。

意識レベル低下してます!!!ってナニソレ!!!救命病棟!?!?

(そういうことをいってるんじゃないッッッ!!!!!!!!!!!!)


実際これ(「意識高い」)は、いわゆる流行り言葉というか、ネットスラングなんですね。「意識高い系」みたいな。(ナニソレ?と想ったアナタはコチラをどうぞ)

それをそのまんま覚えたてのまま、私に「アナタ意識高い系だよね」とか言われると、「いやいや木村佳ですから」と、相手をいかにフリーズさせるかって方向に走ります。

だってそうじゃんw しらねえよお前の意識の基準なんかよォ、です。
そんな目にみえないフワフワとした他人の移ろいやすい基準なんぞアテにしてられっか!!!


といいつつ翌々調べると、「意識が高い系」と「意識が高い系(笑)」という2種類がいるらしい。
前者は、なんというか正しく頑張ってる人。(だから正しくって何!)
後者は、空回りしてみたり周りをイライラさせてみたりして痛々しい人。(なのに俺すげえ☆的な酔いが入ってる人)


私ですか?
前者半分、後者半分、だったらいいな。多分3:7ぐらいの割合じゃないですか?俺基準だから、知らん。

但し、1回空回りしたら、出来る限り2度めはないようにします。そりゃそうでしょ。
勿論、同じミスを何度もして自他共に「ムキー!!」ってなってることはありますけれど。。


なんでこんな話してるって、こういう本を読んだからです。



正直言うと、もしアナタが「意識高い系(笑)だ」と言われても、自分のやりたい事があってそれをやろうとした結果そうなってるんだったら放っておけよこ ういう本も 世論も、って思います。

ただし、なんかそれをファッション的な感じでやってるんだったら「周りに痛々しいぞお前と言ってくれる友達はおらんのか」ぐらい言いたくなります。

ちなみに何故私がこの本を読もうと思ったかというのは、自分も言われかねない事をやってるかもなーというのがあったから。
自分は私みたいにSNSを使ってる友達を見ても、ふーんぐらいですけれど、違う角度からみたら何かあるのかな、って。



この中で著者の方が言ってるように、「欧米やべーよ見習えぇよ」「日本マジ遅れてんぞダセぇぞ」みたいな発言、あれもうちょっと考えろよ、とか、ネットでの議論(orニュース)こそ本物の議論!!とか言っちゃってる輩!!目を覚ましたまへ!ぐらいは思います。

例えばそのVIVA欧米の方だったら、


欧米欧米っていうなら、欧米の子になればいいでしょうがァァァァァ!!!!!

ぐらい思うし、ネット議論(orニュース)こそっていうそこのあーた。


テレビは局が編集したものを一方的に受け取るわけですが、ネットだと受け取る側のコチラが取捨選択出来るわけです。
つまり、その取捨選択をする場面において、自分にとって都合のいい話・信じたい意見ばかりを見ている可能性があることを、念頭に置いておいたほうがいいと思うんですよね。


実際本の中で東京都知事選(石原さんが再当選した時のやつ)で「ネットではそんなことなかったのに何故石原が!!!」みたいな発言。
いや、私もそう思いましたよ。都民じゃないし選挙権ないけれど、石原さん以外かしらねなんて思ってましたから。

甘かったね。

そもそもネットにあまり触れない世代がほぼほぼ選挙に行くこと(若い人たちあまり行かないこと)、そして何より私の周りには石原さんもういいですやめてヨみたいな人がたまたま多かったこと。

所詮、都合のいいところしか見ることが出来ないのです。なかなか。


余談ですが、バイトをやっててハッとさせられたのは。

お客さんは、よくも悪くも瞬間評価である。ということ。

例えば。私が偶然すごく良い接客をしたとして。
きっとお客さんは「この人すっごく仕事出来るのね!」て、思う、かもしれない。

あるいは、普段出来るようなことが出来なかったりしたら。
「困るんだよね学生アルバイトはこれだから・・・」って、私の一回だけのミスが、さも学生アルバイトは使えない的な評価になることだってあるし、はたまた「そんなところ見る!?」てところで「この子は仕事出来る/出来ないんだな」という評価が下されるかもしれない。


例えば、私はいま大学で週1でレッスンとかあるわけですが、大して練習してなくてもできちゃったり、あるいは当然逆もある。
レッスンなんかだと1時間ぐらいあるわけですから先生だって見破れますけど、でもお客さんとか初対面の人がとても1時間も辛抱出来るとは思えないんですよ。
だってそれがお客さんと従業員だったら、ほぼ高い確率でその瞬間にしかきっと人生で交わらない人なわけだし。


何が言いたいか。

情報や、それこそfacebookとかで人を判断する、ってなった時に(それはどうなの?はちょっと置いといて)、自分もその(悪い意味での)瞬間評価になってないだろうかっていうのをものすごく気をつけます。
だってそれで損する場合もあるもん。「あの人こんないいところがあるのに」的な。

ただし、自分が発信する側だったら、どの一瞬を切り取ってもらってもいいように配慮をしようというもの。


とはいえ、なんかもうそういうのも面倒くさいっていうか、発信しまくってる人(それもちょっと「大丈夫か?お前」的な人・・・)をちょっと見ていただけに、一瞬だけ「発信すりゃいいって問題じゃないからな・・・」と、ブログもそうだしfacebookとかの更新もあまりしないようにした時期もありました。


ただ、私がこうして発信し続けることには、他とは違う(かもしれない)意味があるわけで。
同じ?意味としては、近況報告ですけど、他の役割としては広報ですよ。自分の。

プロデューサーとかスタイリストとかいるわけじゃないし。
ブランディング、とかそういう難しい言葉使わずとも、それに近いことをやる必要があると思うんですね。芸で生きたいと思う以上、自分の芸を見てもらうまでの花道はちゃんとする必要があると思うのです。

押し付けるのはよくないけれど、しかし、SNSはそうした広報活動にはヒジョーに便利なわけで。
そして自分も何かを発信すること、アウトプットをすることで新しいものを得ようとするから、新陳代謝です、もはや。

会社勤めの方で、「周りがやってるから俺もやらなきゃ」的な感じでセルフブランディングかじっちゃってる方がいるなら、「その"周り"はお子さんが『だってみんなPSP買ってもらったんだもん』のみんなぐらいアテにならんぞ」と言いたい。みんなって誰って言ったら3人ぐらい名前あげて「えーっとねぇ・・・ ぇっとぉー」が始まるぞ。私がそうだった。(お前かッ!!)



段々まとまらなくなってきましたが。まとめ。

もしSNSで何か取り繕いながらやってる人がいるなら、そんなものすぐにバレますから。
無駄に誇張するなら、それなりに中身が伴うように「正しい努力」が必要だと思います。
(ま、演奏家のプロフィールなんていかに盛れるかみたいなところはあるかもしれませんけれど。。)

人脈だって、(著名人と知り合い!というのなら)アナタがすごいんではなく、その著名人の方がすごいのでは、というのを常に考えたほうがいいんじゃない?


とか言っておきながら、書きたいことがあるんだったら批判の目にさらされながらも書きやがれ!!です。

だってやっぱりネットで、「意識高い系(笑)の学生とかマジなんなの〜〜」って人がたまたまわらわら集まってきて、わらわらと自分のほしい情報だけかき集めたらこうなったよ☆ってなっただけかもしれないわけで。
ていうか元々いたって。使う道具とかが変わってきただけで・・・北の国からみたいになってしまったわけで・・・


あ、この本自体は、個人的には「うーん?」です。
参考にはなるけれど、別にSNS疲れしてる人「ばかり」ではないだろうし、ネットだけじゃなくて本の中でも情報の洪水で大変なことになってるわけですから、やはり取捨選択は大事になりますね。
この本も、なんていうか炎上マーケティング的な路線をいってるんじゃないかと思う部分はあります・・・ ま、気になる方はどうぞ。


以上、そう言いながらも横文字ばっかり使う大学生社会人を見ると
「テメー日本人やり直してこい!!!!!」あるいは「大学のEducationだけではPerfectではないとDaddyが」ぐらいカマしてやろうかなと思う、Kでした。

(でもAllegroとかを突然日本語に言われても、それはそれで「楽典やり直してこい!!!」だねwwwさじ加減~~~)

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