2014年5月18日日曜日

最近の読書話。

ご無沙汰でした。

3年になって、ちょっとバタバタとしていたら、もう5月も終わりに差し掛かってきました。
やっぱり、facebookとかtwitterって手軽なんですね。って改めて思ったりして。

最近の読書の備忘録として。


文化に投資する時代



よく学校の図書室を利用するんですけど、これは学校の図書館でフラリとしていたところ、「あ、なんかいいな」と思って。
(いいなポイント→ 本が赤い)
ちなみに帯はなかったから、鷹の爪とか読んでみるまで全く気が付かなかった。笑


これは広告業界から金融業界にいった人、金融から映画の世界に?飛び込んだ人がそれぞれの仕事や立場から考えたことや経験したことを書いていくというもの。
先に言うと、これ結構面白かった。

広告業界と金融なんて水と油、みたいな感じだし、考え方が極端に違ったりするのだけど(お金に関することとか顕著)、だからこそ、この著者のような橋渡し役が本当に重宝されるのでしょう。
ちなみに音楽の世界やフリーランスの人たちだと、それこそギャラのこととか聞きづらくて、とかお金でやってるわけじゃないから、となってしまう傾向にあると思うのですが(私も実際その感じがある)、それは裏を返せばお金にルーズってこと。
勿論そういう気持ちがあるわけじゃなくても、根本的な考え方が違うと、そういうふうに取られる事がある。

スティーブ・ジョブズが「理系と文系の交差点に立つ人」が必要だのどうだのと言っていたけど、要はそういう事、というか・・・
まさにこの著者がそういう人であり。


映画が趣味で、金融の世界に身を置くもう一方の著者は、
消費者行動が変化してきたという話(*)に変わってきた)や、
エンタメ業界の流れも、成長(共感できる、リラックス出来る、他)を拠り所にしてきたが、コミュニケーションのために消費されるようになってきた、という話であったり。

*AIDMA(Attention→Interest→Desire→Memory→Action)からAISAS(Attention→Interest→Search→Action→Share)へ


この話は確かこの本にもあった。
 

どの業界においても、この流れはきっと同じで、これを元に今頃広報をする人とかっていうのは戦略を練っているのでしょう。

でもそういう理論?的なことだけではなく、意外と(といっては失礼だけど)血が通った言葉なんかもあって。

運やツキは、志と人の縁を大切にすることで巡ってくる

と述べていますが、本当にそのとおりだと思う、今日このごろです。


ちなみにどうして帯が鷹の爪なのか(ちゃんと理由があります)、気になる方は是非お手にとって読んでみてください ;)



文化経済学のすすめ




実はこの本、平成3年に出版されたもので、・・・私の生まれた年でもあります。汗
余談ですがこの本、10年以上図書館で誰にも借りられず眠っていたようで・・・

ただ驚くことなかれ。
案外書いてあることは今に通じる、というか今まさに企業のひとたちがやってるぞ、というようなことだったり、やろうとしていることだったり。

CI(コーポレート・アイデンティティ)の話や、そのブランディングをする上で音楽や芸術が利用されることだったりについて書いている。

しかし面白いのは、この芸術を積極的に社会生活に取り入れようとしているこの国の動き、社会の動きの中に、私達世代のゆとり教育のはじめが見えたように思う。

というのは、そもそも何故企業はイメージをあげようとするのか?
それは、今までの働いてお金を稼いで、そのお金を消費する事で日々をやり過ごすというな味気ない社会に終止符を打たんとして、ということなのかもしれない。
というのは、この本の「ものの『ゆたかさ』からココロの『ゆたかさ』へ」という話に通じる。

この会社で働くことで、社会にこういう事が出来て、こういうやり甲斐(=ココロの豊かさ)を得られる、と。


だから、そのいわゆるゆとり教育というのも、今までの詰め込み型の味気ない教育に終止符を打たんとして始まったものであり、その考え方自体は間違ったものとは思わずとも結果的には上手くいかなかった。(から、揶揄される)
と、そういうことだろうか。 深読みかな。

でも何がいけなかったんだろう?
台形の面積の求め方を知らないのがいけないのか?(ちなみに私は知っている)

ていうか別にゆとりだからと言って、詰め込み型に結果的には変わっていない。
なので、根本的に考えるということが圧倒的に欠如しているのか、確かに最近想像力がないなあと思う場面はしばしばある。自分にも他人にも。(スイマセン。)

その想像力を育てるのに芸術は有効なのか?
というか、想像力が豊かになれば、日頃の仕事にも良く作用し、また芸術文化普及に何か道筋は出来るのか?

供給側の、芸術活動をする上での問題として、この本の中では
いい企画を思いつく人がいない
というのをトップに上げていますが、あくまで平成3年時点での話。
今はむしろ、どうなのでしょう。 実演家も増えた。お客さんもきっとこの頃よりは育ってきたように思う。

私は多分、受容出来る芸術(エンタメ)が増えて、多様化したことがやはり大きいのかな?とおもうのですが、果たして。
多様化した=音楽に興味がある人が減った、ではないと思いますから、やっぱり仕掛け方がちょっと違うのかなあと。


あと金銭報酬についてのはなし。
日本には元々、お稽古事の文化があり、何かを習うことはごく普通に行われてきたように思います。(茶道や華道、・・・etc)
しかしそれらはいずれも、余裕のある人たちの嗜みのようなものでしたから、芸術なども「ぜいたく」とみなされ、ぜいたくを国や財団が支援する必要はなく、「贅沢を求める人間に報酬など少なくて当然だ」という意識を支配的なものにしているのでは、と。

恐らく、そうです。

しかしそれは、違うのではないか。

この本のなかで、「それはタダ乗りしているようなものではないのか」と言う。
タダ乗り、に対する意識の違いはそれぞれあるでしょうが、私はやはり何かをしてもらった/与えたなら、それに対する報酬や対価は払うべき/貰うべきであり、贅沢は敵だというような考えよりは、贅沢は素敵だという考え方に21世紀はシフトしてもいいんじゃないかと考えている。


この本が出版されたのは1991年。 現在、2014年。
この後、どのように芸術文化は変化し、生き残り、あるいは衰退していくのだろうか。



ところで、この2冊の本。
どちらも本の中にしおりがなく、大体そういう時は何かしらのカードとかを挟んでいるのですが、たまに自分が借りた時にレシートが入ってたり、逆に自分が挟んだまま返してしまうことがあります。

これ、ちょっと要注意です。。

以上、診察券を挟んでいたがために矯正歯科にしばらく電話が出来てなかったKでした。
しかし戻ってきて良かった・・・汗(学校の図書館で良かったwww)